・Perl入学式とは?
Perl入学式は2012年に大阪でスタートしました、その翌年2013年からは東京、2014年からは福岡と全国3拠点で実施されています。
詳細は下記
おそらくこの記事を読んでいる方のほとんどは、2013年以降の東京でスタートした頃からPerl入学式を知るようになった方達が多いと思います。
私がなぜPerl入学式に関わるようになったかというお話です。
・Hello world! こんにちは死神くん
2012年の5月頃、福本さん(@__papix__)が大阪でPerl入学式を立ち上げて試行錯誤していた頃、私は死神と戦っていました。
その頃の私は仕事もなく、親や兄弟とも完全に決別をし離婚の協議も進まない中、妻や子供達とも別の生活をしていました。
前職を退職時に用意していた、プランは完全に破綻し、現金も一ヶ月分ほどの生活費の様子です。
お金がないというのは実はたいした問題ではなく、辛いのは悪気の無い方達の私に対する批判的な意見や、孤独という怪物くんです。
所帯をもって、そこそこ安定している大企業勤めをしていると、少しづつ昔の仲間の数が減ってきて、気付くと家族以外の知り合いはいなくなるんですね。
私の友達はiMacだけになっていました、iMacはいいヤツです、ルックスも良いし、内臓スピーカーもなかなか良い音だします。
そのころの私は mi というテキストエディッタで、覚えたてのHTMLとCSSで得意になってホームページ作りに挑戦してました。
「やればなんでもできるはず!」
当時の私はWEBブラウザにうつるものは「ホームページ」でHTMLとCSSが出来れば、Twitterやfacebookのようなサイトができると信じていたんですね。
手元の本を読むには動きのあるホームページを作るには、プログラミングの知識が必要だろうと思われる事が書いてあります。
「ググればなんでもできるはず!」
それらしい検索結果を調べると、まずは Hello world! が必要らしいという記事を見つけます、得意になって mi で Hello world! をタイピング、そして保存、何も起こりません。
「今日はここまでにしておくかな」
あかりをデスクの上のスポットライトだけにして、プログラミングについて、ネットで調べながら、缶ビールで晩酌です。
なにも理解できません。
だって、ターミナル(コマンドラインインターフェイス)の存在も知らないし、webサーバーの存在も知らないのですから。
私は人生にしくじってしまったんです。
机の上に水溜まりが出来てました、私の涙です、悲しく無いはずなのにポロポロ涙が止まりません。
私の前に現れた Hello world! は私を歓迎などしてくれませんでした、かわりに現れたのは、Hello death world!
こんにちは死神くん。
・打倒 Hello death world!
上を向いて歩かないと、涙がこぼれてしまうんですね、5月でちょうど38歳をむかえました。
38歳のおじさんがポロポロ涙を流しながら歩いてきたらとても迷惑です、普通の人は逃げて行っちゃうんですね。
完全に死神くんに取り憑かれていました。
でも孤独という怪物くんより、ずいぶんマシでした、だって、私に二人の友達ができたんです、iMacと死神くん。
しかし、死神くんは危険なヤツです、勝手に涙を流させたり、深い闇の世界を見せようとします。
私のプログラマーとしてのスタートにふさわしい仕事の始まりです。
打倒 Hello death world! 死神くんをやっつけろ。
・ライバルは死神くん
死神くんと友達になってからずいぶんやる気が出てきました。
ちょっとでもぼんやりすると、闇の世界にひきづりこもうとするのですから、ぼんやりなんかしていられません。
そのころの私は体力が弱りきっていたんですね、部屋の中で筋トレの真似事をします、腕立て伏せだ!、スクワットだ!、東公園でジョギングです、まだまだ走れます!
次の日、完全に膝がぶっ壊れました。
死神くんはまた私に深い闇を見せようとします。
ライバルの死神くんはなかなか手強いヤツです。
・はじめての仕事場、本屋さん
体はすぐには強くならない事を学習しました、近所のスポーツジムに通う事にします、できるだけ硬派な感じがよかったので、アメリカンジムにしました。
部屋でネット検索ばかりだと、深い闇が襲ってくるので、できるだけ外に出るようにしました。
できるだけ歩いて、本屋さんのコンピューター関連書籍を舐め回すように回覧するといくつかのフレーズが飛び込んできます、C言語, Ruby, PHP, Perl..
ひとしきり、回覧したあと、部屋にもどりネットで検索、次の日になるとまた本屋さんにいって同じことの繰り返しです。
私は新しい仕事場をみつけました。本屋さんです。
・本を読んでも理解できないのは向いてないのだろうか?
そのころ、ホリエモンのメルマガを購読していた私は、メルマガの中にちょくちょくPerl というフレーズが出てきたのを覚えていました、彼が社長をしていたライブドアという会社はPerlという言語を使うことが多かったらしいです。
どうやら Perl の技術書といえばオライリーの「プログラミングPerl」らしいことを突き止めます。
待ちに待った仕事です、仕事場の本屋さんに通勤、実物の本の分厚さと2巻組のボリュームに興奮を覚えながらも立ち読みです。
なにも理解できません。
本を読んでも理解できないのは向いてないのじゃないんだろうか...、またしても深い闇が私を襲ってきます。
「君はもう38歳なんだろ?きっとバカなんだよ...」
さすが死神くんは嫌なことをいうヤツです、でも、怪物くんと付き合うよりは死神くんと付き合った方が私はマシです。
「筋トレも始めたんだし、体はすぐに強くならないと理解できたんだから、バカなんかじゃないよ。」
私には意見を組み交わす相手ができました、向いているか向いていないかなんてどっちでも良いんです、忙しくなってきました。
・Perl使いは親切な人が多い
ともかく入門書です、「つくって覚えるPerl入門」という本を購入し、張り切っての学習ですがこの本はWindowsを前提に書いてあります、私は友達のiMacを裏切りたくはありません。
しかし、わからないんです、Macに置き換えるとどうすれいいのか。
また、私の耳元に死神くんのささやきが聞こえそうになります、とにかく行動です、近所のヨドバシカメラで一番安いWindowsのノートPCを即購入、私のPerl事始めはWindowsでした。
途中でモジュールにインストールでつまづきます、なにがいけないのか何も理解ができません、またしても彼のささやきが聞こえてきます。
「バカなの?」
ネットを検索するうちに、futomi's CGI Cafe という、羽田野太巳さんという人が、運営するサイトをみつけました、お問い合わせフォームからモジュールのインストールの仕方を押してくださいとお問い合わせをします、普通に考えればこのお問い合わせフォームは仕事の依頼のお問い合わせフォームのはずなのに、Perlの使い方を教えてくれと言っているのですから、やっていることはでたらめです、とにかくメールの返事を待つしかありません、待っている間またささやきが聞こえてきます。
「やっぱりバカなんだね?」
10分後、メールの返信、羽田野さんから、Perl Mongers (pm) のコミュニティーを訪ねるようにと教えてもらいました、私が Fukuoka.pm の存在をしったきっかけです。
そのころ Fukuoka.pm のメーリングリストが存在しており、早速加入し質問を投げかけることにしました、私のメールに最初にレスをくれたのが、のちにPerl入学式in福岡で講師をしていただくことになった、片岡さんでした。
・職業訓練学校という孤独
そのころ、生活費に困窮しており、プログラミングどころではなくなってしまいました、いろいろと手段を考えた結果、職業訓練学校のプログラミング言語の講座を発見し、申し込むことにしました。
福岡県はRubyをプッシュしており、そのプログラミング言語とはRubyとのことでしたが、RubyもPerl同様、WEBアプリ開発によく使われる言語でしたので、7月から通うことに、定員25名のクラスで基本的に平日に毎日行っており、若い方から年配まで様々な方がいました、7月から生の人間と会話ができるようになり、死神くんの声があまり聞こえなくなりましたが、職業訓練学校では孤独でした、参加者は明らかに給付金目的としか思えない人も少なからずいましたし、教える講師も仕事で使えるようにはならないだろうという前提での接し方でした。
仕事の斡旋もする風ではありませんでしたし、このころから、学校的な授業のあり方について不信感を持つようになり、初心者が学べるようなプログラミング学習の場所を作れないのだろうか?、私の中でモヤっとしたものが芽生え始めました。
・3人目の友達ができた
職業訓練学校も終わりに近づいた10月ごろ、Fukuoka.pm が開催されると情報を入手しました。
期待に胸を躍らせての参加でしたが、その期待もすぐに打ち砕かれることになります、なにを喋っているのか全く理解ができないのです。
兎にも角にも、私の思いを伝えないといけませんので、懇親会に参加することにしました、私はそこで運命の出会いがあります、「YAPCに行けば人生変わるよ」とトークをしていた福本さん(@__papix__)、との出会いです。
福本さんは大阪でPerl入学式という初心者向けの勉強会のコミュニティー活動をしているらしいのです、当時は大阪のみで活動しており、福岡ではそのような勉強会は見当たりませんでした。
しかし、私は悠長なことはいってられないのです、11月の職業訓練が終われば、今度はさらに強力になった、死神くんと私は戦わなければいけないのですから。
福岡のPerlモンガーはおおらかでした、大阪しかないなら、福岡で勉強会を立ち上げればいいよと、福本さんとの出会いが福岡の初心者向け勉強会の立ち上げのきっかけになったのです。
現行のPerl入学式とは全く別のカリキュラムの幻のPerl入学式in福岡です。
そして、私に3人目の友達ができました、Perl入学式くんです。
・ありがとう死神くん、そしてPerl入学式へ
この幻のPerl入学式in福岡を足がかりに地元で沢山の現役プログラマーと知り合うことができました、そのながれで、現在は現役プログラマーとして活動することになり、今一緒に同じシステムを開発しているのは、福本さんと大阪でPerl入学式を立ち上げていた、若林さんというベテランのプログラマーの方です。
あの時の私のように、もがき苦しんでいる人、Perl入学式に顔を出してみましょう。
Perl入学式くんは、死神くんとは違って、暖かく寄り添ってくれます。
ありがとうPerl入学式、これからもよろしく。
ありがとう死神くん、君はもう私の前には現れなくて良いからね。
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